K.E.アイバーソンと仲間たち


K.E.Iverson博士は、ノルウエー移民の子としてカナダ中部の農場で育ち、 第2次大戦をカナダのフライト・エンジニアとして過ごした後、カナダの大学を経て ハーバード大学で研究生活に入りました。

当時IBMはハーバードと提携してコンピューターを開発しており、IBMのMARK1の1号機は ペンタゴン、2号機は ハーバード大学に納入されるといった状況でした。

コンピューターの民生研究が始まった頃、ロシアから亡命した経済学者 ワシリー・レオンチェフが産業連関表 の計算を持ち込み、アイバーソンがサポートした。当時の最新鋭機では500*500 セクタの配列の逆行列を求めることはできず、100*100セクタに圧縮して 48時間かかってレオンチェフ逆行列の計算をしたようだ。(スマホで1秒以下!)

このことがアイバーソンが数学とコンピュータの関係を考える契機となり。 もっと容易に数学を表現できるコンピュータシステムとプログラム APL ( A Programing Language)の論文を著した

IBMに移ったアイバーソンは10年間紙と鉛筆でAPLの具現化を目指した。APLは1970年当初 IBMの最新鋭機システム360に搭載された。

コンピュータサイエンスのリーダーはIBMからマクロソフト、グーグルに移った。 コンピューターの可能性をいろいろ考えていた当時のIBMには多彩な人材がいた。

天才だが秀才ではなかったバッカスはいろいろな分野の学業や職業、軍務を経て コロンビア大学で数学を学んでいたとき、マンハッタンでやっていた IBMのデモに飛び込み、その日のうちにIBMに職を得た。科学技術計算プログラムの 複雑さに辟易して、Fortrunを提案し1年足らずで作り上げた。
その後アルゴル制定の中心メンバーとなった。アルゴルは多くの言語の源泉となり、 C,Pascal,Ada,C++,Javaなどが生まれた。バッカスはFortrunに飽き足らず、関数型言語 FPを作っていた。

一人でフラクタル幾何学を作ったマンデルブロートも IBMの研究者の一員として長く在籍した。

もう一人の主役はグレース・ホッパー女史でカレッジの数学の先生から 第2次大戦に志願したが、訓練中体重が軽すぎたのでコンピューター研究部門に 回されて、Cobolとコンパイラを考案した。ユニバックと海軍を行き来したが 海軍准将となった。

ホッパーという名のイージス艦があり、コンピューターサイエンスに G.ホッパ賞ができている。

バッカスとアイバーソンはチューリング賞をレオンチェフは最初のノーベル経済学賞 を受賞している。マンデルブロート、バッカスとホッパーを有史以来の偉大な 数学者50人とする数学史の本がある。