ルネッサンスのイタリー

フィボナッチ

フィボナッチの本当の名はレオナルド・ダ・ピサ。

ピサ出身のレオナルド(1170頃-1250頃)。父が現在のアルジェリアに 仕事を求めたのに従いアラブ世界で最新の数学を学ぶ。

1202年に 帰国し「算盤の書」を表し、アラビア数学を後進国ヨーロッパに広めた。

フィボナッチ数

ルネッサンスの時代

カルダノ、タルタリア、フェラーリ

1543 コペルニクス(1473-1543) 「天球の回転について] 出版

カルダノ(1501-1576)はギャンブラーで医者、数学者。生涯は波乱万丈。頭脳をギャンブルに使い、 「さいころ遊びについて」という本を書き、期待値の考え方を提示したが、出版は死後の1633年。

この時代は数学試合が注目された。カルダノはタルタリアから3次方程式の解法を公開しないとの 約束で教えてもらい約束を反故して1545年に「アルス・マグナ」の中で公開し、悶着を起こす。

タルタリアもギャンブラーに只で教えるほどお人よしではなかろうし、この解法は、タルタリアが 1537年に書いた著書でも公開しておらず、公開する意思は無かったようだ。

カルダノは10年経てから公開したが、カルダノが公開しなければ、 タルタリアの功績は記録されず、後世のビッグネームに、 手柄を横取り、独り占めにされたかもしれない。

近頃はアルゴリズム特許などまた変なものが流行って来た。 \[ ax^{3}+bx^{2}+cx+d=0 \] \[ -\dfrac{b}{3a}+^{3}\sqrt{-\dfrac{q}{2}+\sqrt{\left(\dfrac{q}{2}\right)^{2} +\left(\dfrac{p}{3}\right)^{3}}} ^{3}\sqrt{-\dfrac{q}{2}-\sqrt{\left(\dfrac{q}{2}\right)^{2} +\left(\dfrac{p}{3}\right) ^{3}}}\\ \] \[ -\dfrac{b}{3a}+ \omega ^{3}\sqrt{-\dfrac{q}{2}+\sqrt{\left(\dfrac{q}{2}\right)^{2} +\left(\dfrac{p}{3}\right)^{3}}} +(\omega^{2}) ^{3}\sqrt{-\dfrac{q}{2}-\sqrt{\left(\dfrac{q}{2}\right)^{2} +\left(\dfrac{p}{3}\right)^{3}}} \] \[ -\dfrac{b}{3a}+(\omega^{2}) ^{3}\sqrt{-\dfrac{q}{2} +\sqrt{\left(\dfrac{q}{2}\right)^{2}+\left(\dfrac{p}{3}\right)^{3}}} +\omega ^{3}\sqrt{-\dfrac{q}{2}-\sqrt{\left(\dfrac{q}{2}\right)^{2} +\left(\dfrac{p}{3}\right) ^{3}}} \] - \[ \left\{ \begin{array}{l} \omega=\dfrac{-1\pm i \sqrt{3}}{2}\\ p=\dfrac{c}{a}-\dfrac{1}{3}\left( \dfrac{b}{a} \right)^{2}\\ q=\dfrac{d}{a}-\dfrac{1}{3}\left( \dfrac{b}{a} \right) \left( \dfrac{c}{a}\right) +\dfrac{2}{27}\left( \dfrac{b}{a} \right) ^{2}\\ \end{array} \right. \] カルダノの弟子フェラリは4次式の公式を発見している。